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​animation

《庭の詩学》 2022

幼い頃の背の感触の記憶をたよりに、丸まるあなたの背に私は手を置く。自然の巡りを表す庭に思いを馳せる様に、あなたを見つめることであなたと私はもう一度何かを交わすことはできるだろうか。

東京藝術大学大学院映像研究科 アニメーション専攻 修了作品 2022

監督: 黒澤さちよ 音楽: 足立 美緒 サウンドデザイン: 俵積田 菜央、吉田 羽那 プロデューサー: 山村 浩二

《Waves go on》 2019

同じ時間を過ごした人が、違う時間のものになっていくことと向き合うため、どうしたらいいか考えを巡らせ始めてから、何度か海へ通うようになった。そして海のそのおおらかでいて、果てしがない様や、波がこちらへ打ち寄せてはまた果てへと帰っていく繰り返す、

そんな時間をじっくりと観察していっていると、人が亡くなってからの時間はこういうものなのではないかとふと思うようになった。

そんな海を眺めながら海辺を歩いていると、たくさんの打ち上げられた石や流木たちが足元にたくさん重なり合っている。そこで静かに再び海へと戻っていく時を待っている様子は、今の自身の姿と重なった。自分も、家族も、周りに存在している人もものも、いつかはどうしようもない果てのない繰り返しの時間のものへと帰っていく。それまではただそちらの時間を見守るしかない。

ただ、人は見守ることだけではどうしようもないから、呼びかけるのだと思った。返ってはこないとわかっていても、そちらの時間に生きる存在へ呼びかけることを人は表現として様々な形で持ってきたのではないだろうか。作品ではそんな海の時間と浜辺の時間が向き合うように並ぶ。鑑賞者の座る椅子の向こう側では祖父の生きてきた時間の積み重ねの表象であるしわが丁寧に時間をかけなぞられていき、やがて体から離れ、波になっていく様子をアニメーションという、時間を新たに生み出すことのできるメディアで表現している。

《はなれ近づけ遠のく》 2017

​習慣が身につくと、いつの間にか私ではなく体が動いている。自分が自分の行動についてのリアリティを取り戻すため、一度はなれたものを反復しまた近づける。​そして表現としてまた遠のいていく。

​写真の歴史として、グレーを写しとる技術が発達する以前は写真は現実を写すもので、それをその場に存在させるのは描きてで、映った像をなぞり、ニュアンスを加えて画像を作り上げていた。人が介入する過程があることで、客観性からは遠くなるが、そこには実感の表現が入っていたのではないだろうか。

《Interlude 2017

​塀を観察することがとても好きだ。人が作ったものにゆっくりと人の意思とは関係なく植物が、植物の時間をかけながら住み着いていく。人もその塀の内と外で時を過ごしていく。長い時間をかけて苔に生されたり、植物が根付いた塀は「内と外を隔てるもの」ではなく、全ての時間の中間に存在するものとして存在しており、とても鑑賞していて趣がある。そしてそういったものに私自身がなっていくことを夢をみる。

おやすみなさい と いう2015

アニメーションは何度もなんどもその行為について自分に問うようなものだと思う。

このアニメーションは自分が慌ただしく動き回ったところから体がだんだんと眠りに入っていくことを、もう一度見つめ返してみようと思ったことからインスタレーションの一部として制作。作品は布団に寝ながらこのアニメーションを観れるようになっている。

《つむつむ》 2014

ふとした瞬間、コロコロしたものを手で遊んでいた記憶がよみがえる時がある。豆なのか、おはじきなのか、なんであったかはよく思い出せないが、たしかに手に残るこの感触の記憶を、つむつむと名付け、小さい時に弾いていたような拙いピアノとともに記憶を探るアニメーションを制作した。

​インスタレーションの一部として制作。

© sachiyo kurosawa 2020

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