animation
《つむつむ》 2014
ふとした瞬間、コロコロしたものを手で遊んでいた記憶がよみがえる時がある。豆なのか、おはじきなのか、なんであったかはよく思い出せないが、たしかに手に残るこの感触の記憶を、つむつむと名付け、小さい時に弾いていたような拙いピアノとともに記憶を探るアニメーションを制作した。
インスタレーションの一部として制作。
《おやすみなさい と いう》 2015
アニメーションは何度もなんどもその行為について自分に問うようなものだと思う。
このアニメーションは自分が慌ただしく動き回ったところから体がだんだんと眠りに入っていくことを、もう一度見つめ返してみようと思ったことからインスタレーションの一部として制作。作品は布団に寝ながらこのアニメーションを観れるようになっている。
《はなれ近づけ遠のく》 2017
習慣が身につくと、いつの間にか私ではなく体が動いている。自分が自分の行動についてのリアリティを取り戻すため、一度はなれたものを反復しまた近づける。そして表現としてまた遠のいていく。
写真の歴史として、グレーを写しとる技術が発達する以前は写真は現実を写すもので、それをその場に存在させるのは描きてで、映った像をなぞり、ニュアンスを加えて画像を作り上げていた。人が介入する過程があることで、客観性からは遠くなるが、そこには実感の表現が入っていたのではないだろうか。
《Interlude》 2017
塀を観察することがとても好きだ。人が作ったものにゆっくりと人の意思とは関係なく植物が、植物の時間をかけながら住み着いていく。人もその塀の内と外で時を過ごしていく。長い時間をかけて苔に生されたり、植物が根付いた塀は「内と外を隔てるもの」ではなく、全ての時間の中間に存在するものとして存在しており、とても鑑賞していて趣がある。そしてそういったものに私自身がなっていくことを夢をみる。